果たしてビデオは商品なのか

ビデオは作品だ。
ビデオは創造物であるので、そういう考え方からすれば容易に理解できるはずだが、しかし「作品」とよんでほしくない作品も中にはあるかもしれない。
スポンサーの意向、プロデューサーの指示、たくさんの人間が絡めば「自分の作品」からは離れていくかもしれない。
しかしそれは紛れもなく自分の作品だとあらためて気が付くべきだと思う。込める魂のレベルに違いはあるかもしれないが、やはり作品なのだと思う。
作品を作るということは大変な作業である。
その上で、作品の良し悪しとは一体なんだろうか?改めて考える機会が最近増えてきた。それは、
ハードではない部分。
ではないかと思う。
人は目に見えて測れるもの、数字で判断のきくものに極めて惹かれる。説得されやすいからだ。逆にそれ以外は極端に苦手とする。
作品とはまさにその苦手な領域を評価するものだろう。
商品はその逆のものである。
今の時代、映像を商品ぐらいにしか考えられない人が多い。だから判断しやすい基準に流されやすいのかもしれないが。
なんだか説明が難しい。

果たしてビデオは商品なのか” への4件のコメント

  1. あえて反論的なことを・・・。
    「ビデオは作品であり商品でもある」と自分は考えます。単純に「作品」と呼べるものは、芸術家として活動している人の(言い方は悪いですが)自己満足のものと、アマチュアの方々が自分が楽しむために作るものだと思います。我々がくつるものは「作品」ではありますが、同時に「商品」なのではないでしょうか。
    ちょっと違うか・・・(^^;

  2. そうですね。fukudaさんのおっしゃる通り確かに「作品」と「商品」が混在していると思います。
    私の考えは決してfukudaさんと相反する意見ではありません。fukudaさんのご意見を含んだ上であんなことを書いているつもりでした。
    言葉足らずで申し訳ありません。
    さて、論点としてはその話を理解していただいたうえであえて「作品」なんだと言いたいし、そういう考え方をしてくれる人が増えてくれたら嬉しいなと思うのです。
    この場合「商品の中にある作家性」みたいなことになるのかもしれないですね。
    例えば、タバコのパッケージ。あれは商品ですけども同時にデザイナーの作品でもありますよね。
    その時に「デザイナーの作品」としての価値にもっと気が付いて欲しいな、と。
    「ロゴの色を赤色にしたことで訴求力が高まった」とか「フィルターサイズを1mm長くしたのがいい」など、感性ではなくて即物的な視点でしか判断できないことがやはり多いと思うのです。
    我々は「高い芸術点」を目指して日々研鑽する身です。
    商品論に惑わされず脅されずいいものを作りたいですし、そういう部分で評価していただきたいな、と。

  3. > fukudaさんのご意見を含んだ上であんなことを書いているつもりでした。
    ですよね。きっとそういことだと思いました。(^^;
    「創造」に対して日本は特に価値を見出してくれないと思います。その点では残念なんですよね。ある線を越えたメジャーな人間の言う事には耳を傾けてくれますが、ほとんどの映像制作者はメジャーではないですから・・・。
    以前、物流系の会社案内をつくるということで見積もりを出したんですよ。彼らの頭の中はそういう時でも「単価」が離れないらしく、例えば「構成台本」という“考えること”に対して、単価がいくらで何時間考えてこの金額になるのか見積もり上で数字にして欲しいと言われ、嫌になって断りました。(苦笑)

  4. >「創造」に対して日本は特に価値を見出してくれないと思います。
    いや、まったくおっしゃる通りです。今の世の中の仕組みでは創造行為が数値化されない限りこういうジレンマは残るかもしれません(笑)
    「考える時間」と「その中身について」を数値化して見積もりに反映させるなんてどだい無理な話ですもん。

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